★ 【彼(か)の謳は響く】まよわないくちびる ★
クリエイター犬井ハク(wrht8172)
管理番号102-7567 オファー日2009-05-10(日) 03:29
オファーPC 真船 恭一(ccvr4312) ムービーファン 男 42歳 小学校教師
<ノベル>

 ――ほとんど、言い訳だね。

 真船恭一(まふね・きょういち)はタナトスの剣を選択しながら唇を噛み締めていた。
 この選択は、今までにたくさんのものをくれたリオネやスターの人々、そしてバッキーたちに、恩を仇で返すようなものだろうと思っていた。
 死ぬのは怖い。
 だが、大事な人やこの町を守りたい。
 いつかスターとの別れが来た時、優しい彼らは銀幕市の今後を案じるだろう。だから頑張ろう。自分のような者でもやれたのだから、他の皆はもっと凄いことが出来る、銀幕市は大丈夫だと証明して彼らを安心させてあげたい。
 そう思っていた。
 それも、今まで口にしてきた希望も、心から信じていたことだった。
 ――しかし彼が、選んだのは、リオネを殺す道だった。
 本心を言えば、まだ一緒に過ごしたい。
 本当は、夢の魔法で得たすべてのものを失いたくなどなかった。
 ……それももう、信じてもらえないだろう。
 彼は、選択してしまったのだから。
 戦おうといえればよかったとも思う。
「僕は……臆病な偽善者だから……」
 けれど、戦うすべを持たぬ人々の安全も確保できるか判らない、この不利で危機的な現状において、あるかどうかも判らぬ奇跡や希望のために、一般市民の命が犠牲になっても仕方ないから戦おう、などとは口に出来なかった。
 否、本当は、この苦悩の理由を知っている。
 もしかしたら、自分は、自分と妻のことしか考えていないのかもしれないと、今まで偉そうなことを言っておきながら、自分と彼女さえ無事ならばそれでいいのだと、そんな風に心の奥底で思っているのではないかと、自分の利己に魂が慄くからだ。
「許してくれなどと言えるはずがない。謝罪も自己満足になってしまうと思うから……僕が口にしていいのはここまでだろう」
 恭一は俯き、それだけ言って踵を返した。
 胸の奥を嵐が吹き荒れている。
 ――もう、今更どうしようもないと判っていて、その激しさと、己の罪深さに、脚が、手が、震えた。

 * * * * *

 選択に際して恭一の脳裏をよぎったのは、去年の冬の出来事だった。
 十二月二十七日。
 誰も助けられなかったあの日の苦さを、恭一は今でも覚えている。
 彼がタナトスの剣を選んだ理由の中には、あの人同じく、戦えない人々が犠牲になる可能性が高いから、という事実もあった。自分の児童たちが死ぬのが嫌だった。
 教師として児童生徒たち、父親として多くの親子が犠牲になる可能性を見過ごせないと思った。
 しかし、スターにも子どもや親子がいる。
 だからこその激しい罪悪感だった。
 リオネやスターなら死んでいいとは決して思わない。口が裂けても言えない。
 彼らも大事な命だからこそ、抱く罪悪感は激しかった。
 選択を終え、ふらふらと帰宅した恭一は、タナトスの剣で犠牲になる人々のことを思い、彼らの命を背負い、償うために生きるべきか、それとも自ら死を選ぶことで償うべきなのか……そんな価値が自分にあるのか、などとまで思いつめていた。
 妻の美春は、夢遊病のように戻った夫を気遣わしげに見つめたが、何も言わず、彼が自室へ消えるのを見送っただけだった。
「う……」
 部屋の中は冷やりとしていた。
 もう春も終わりだというのに、奇妙な寒々しさばかりがあった。
 仕事や書き物をするための机の上で、バッキーのメンデレーエフが丸くなっている。眠っているのだろうか。
「うぅ……」
 知らず知らず、呻き声が漏れた。
 ――今まで口にし、信じてきたものを否定する選択をした。
 銀幕市の魔法と、銀幕市に住まう人々と、そして自分をも裏切ったと自責し、頭の中には、自分が選んだ道の肯定と否定が渦巻く。
 誰も失いたくなかった。
 戦えればよかった。
 誰も死なせたくない。
 もっと、ずっと、一緒にいたい。
 頑是ない、子どものような願望が、浮かんでは消え、浮かんでは消えする。
 視線がぼんやりと上を向いた。
 視界に、この一年で手に入れた様々な記念品が移り込む。
 バッキー運動会の景品、額に入れたクリスマスプレゼントのチケット、金葉のブレスレット。
 たくさんの人たちとの記憶が脳裏に押し寄せる。
「……ッ!」
 恭一は息を飲み、胸を掴んだ。
 同居人、隣人たち、親しく声を交わした個性的な銀幕市の人々。
「ぅ、あ……あぁ……」
 それらを否定する選択をしたのだと、自責の思いが後から後から溢れてくる。
 零れた声は、途切れることを知らぬまま、大きくなっていく。
「ああ、あ、あああああああああああ!!」
 叫びながら、頭を抱え、蹲る。
 誰も、彼を責めない。
 皆、自分なりの考えで、それぞれの選択をしただけだ。
 しかし、だからこそ、彼は責められていた。
 何よりも、恭一自身が、一番に、彼を責めていた。
「うぅ、う、うあ、うわあああああああああああッ!」
 胸も、咽喉も張り裂けてしまえと言わんばかりに、恭一は絶叫する。
 驚いて起きたのか、慌てた風情でメンデレーエフが恭一の肩へと飛び乗った。
 ――魔法がくれたすべてを愛している。
 陰惨な事件もあったが、感謝と喜びの方が強い。
「ふー坊……」
 小さな、大事な子どもの、ほんの少しの重みで、恭一はようやく我に返った。
 息を荒らげ、咳き込みながら、その場に蹲ったままで、拠りどころを求めるように手を伸ばし、この一年でずいぶん写真の数が増えたアルバムを引き寄せる。
 アルバムをめくる。
 たくさんの笑顔がそこにはある。
 ムービースターも、ムービーファンも、エキストラも関係がない。
 そこには、ただ、同じ時間を共有出来る喜びだけがあった。
 様々に個性的な、素晴らしい人たちの輪に加わる誇らしさが、胸の奥をじわりと熱くする。
 彼の選択を知っているのか、メンデレーエフが恭一に頬を寄せた。
 胸が張り裂けるような哀しみと、愛おしさとが渾然一体となって押し寄せる。
「ふー坊」
 恭一は、一緒に頑張ってきた大切な子どもを抱き上げ、抱き締めた。
 胸が、目頭が、熱くなる。
「いい年してダメだね。忘れていたんだ」
 信じ、感じたすべてを。
 映画は喜怒哀楽が詰まった夢と希望。
 それらはすべて、この街にあるのだということを。
 人々の力と可能性を。
 まだやれることがあると、希望などどこにでもあると、最後まで諦めない人々のことを。
 絶望に目の前をふさがれて、大切なことを忘れていた。
「そうだ……まだ、やれることがある。まだ、何も、終わっていない」
 そろそろ、投票は終わったころだろうか。
 結果を知るのが怖くて、逃げ帰ってしまったけれど、きっともう、結果は出ているだろう。
「……目を逸らさずに、見つめなくては」
 タナトスの剣を使うことに決まったのならば、覚悟を決めて、逃げずにすべて背負おうと思う。
 彼らと、彼らの生き様と、そして彼らが遺してくれたすべてのものを忘れない。きっとそれが、自分なりの、自分にしか出来ない償いだ。許されるなら、感謝を込めて彼らが生きていたことを世に伝えたい。伝え続けたい。
 しかし。
「……恭一さん?」
 不意に、静かな声が背後から響いた。
「美春」
 いくつになっても美しい妻は、彼の苦悩と覚悟のすべてを理解している風情で頷いて、
「市役所からお電話いただいたわ……どちらの剣も使わないことに決まったのですって」
 そう、微笑んだ。
「……! そう、か……」
 恭一は拳を握り締めた。
 唇が、迷いのない笑みを浮かべる。
 胸の奥に、静かな火が灯る。
 それはゆっくりと、恭一の全身を巡り、彼を熱くした。
「なら……僕は、全力を尽くすだけだね」
 問題なら山積みだ。
 進む道が決まったからといって、危機が去るわけではない。
 しかし。
 もう、決めたのだ。
 銀幕市の皆で選んだ未来のために、真摯に参加し十全を尽くすのだと。何を今更と言われようと甘受して、この街と彼らの役に立つのだと。
 ――そして、もう絶望に惑わされず、まっすぐ見つめる。
 マスティマには自分の負の感情もあるだろう。
 子を産まぬ嫁など、そう吐き捨てた父。
 恩人・朝井の葬儀で、美春が「子どもを抱かせてあげられなかった」と詫びた時、周囲の冷ややかな視線にいたたまれず「子供を作ってもいい」といった事務所の社長。
 そのふたりに抱いた激しい殺意と憎悪を、恭一は今でも胸の奥で燻らせている。これからも、決して許しはしないだろうと思う。
 そんな、御し難く激しい感情が、自分の中にもある。
 否、きっと、すべての人々の中にあるのだ。マスティマというかたちで指し示されずとも、すべての人々の中に、おぞましく醜い、利己と憎悪と絶望と瞋恚とがある。
 恭一自身、あの日、あのふたりに抱いた激しい殺意に戸惑った。
 それと同じものが、すべての人々にある。
 そしてそれは、本来、彼をかたちづくり律する欠片のひとつでもあるのだ。
 だから、受け入れ難くても、目を逸らすのは、やめだ。
「……行ってらっしゃい、恭一さん」
 気づけば、美春が恭一の手を取り、その手の平に口づけていた。
 まっすぐに恭一を見つめる眼差しは、強く、そして美しい。
「私、あなたのすべてを、愛しているわ。強いところも、弱いところも、全部愛しているわ。――あなたが選んだすべてを、信じるわ」
 だから。
 美しい唇が、華やかな笑みのかたちになる。
「迷わないで……あなたの思うように、戦って」
「……美春……」
 恭一は瞑目し、美春を抱き締めた。
 守りたい。
 ――守ってみせる。
 だからこそ、戦う。
 だからこそ、戦える。
 恭一の肩の上で、メンデレーエフが鼻を鳴らした。
「……今」
「どうしたの、恭一さん」
 抱擁を解き、恭一は微笑む。
「ふー坊が、『頑張ろう』って言った気がしてね」
「ああ……きっと、そうね」
 くすり、と美春も笑った。
 恭一は頷き、ゆっくりと踵を返した。
「じゃあ……行って来るよ」
「ええ、気をつけて」
 いつも通りの会話。
 ――そして、いつも通りの笑顔。
「行こうかふー坊……皆の役に立たなくてはね」
 恭一の言葉に、またメンデレーエフが鼻を鳴らす。
 それを見て笑った恭一は、もう、すっかり、以前の彼だった。

 外へ出れば、否応なくあの絶望の塊が目に入る。
 だが……もう、迷わない。
 唇は、強い意志を刻んだまま、揺らがない。

クリエイターコメントオファー、どうもありがとうございました。

真船さんの心を、このノベルに預けてくださったことに感謝いたします。

多くは語りません。
どうか、選択のすべてに救いと安息が満ちていますように。


ありがとうございました!
公開日時2009-05-31(日) 20:00
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